*

公務員を辞めようと思うわけ

      2017/06/20


40歳を迎えるいま、
22年間続けた公務員生活に、終わりをつげようとしている。

今までも辞めようと思ったことは2回ある。
今まで、どんなタイミングで、当時は何を考え、何を一番に思い
辞めようと思ったのか振り返ってみようと思う。

 

1回目は20歳の時。

この話は、私が中学3年生の頃まで遡る。

私は、普通の地元の市立中学校に通っていた。
成績は、5段階評定のオール3程度。まさに普通。

しかし、自分の将来の進路は明確に持っていた。

 

私は将来、2つの職業の内、どちらかに就きたいと考えていた。
中学生レベルの知識で漠然と考えていた。

そのために進学する高校を選ぼうと決めていた。

なりたい職業
一つ目は、今働いている公務員になること。
親に、なるなら「いい職業」は?と聞いたら、公務員と聞いたから。
それだけで真っすぐ公務員を目指した。
これは、やりがいよりも絶対的な安定性で選んだんだなぁと今は思える。

それに、公務員になることができたら、両親はとても喜ぶだろうと考え、
中学生ながら、親の期待に応えようと頑張った。

 

二つ目は、自動車整備士。自動車ディーラー店へ整備士として就職がしたかった。
これは、幼い頃から、メカが大好きで、機械の仕組みや原理に興味があったことも関係していた。

 

この将来選択を、私は受験結果に委ねることとした。
公務員になるには、地元県立I高校の普通科程度は卒業しなければ、就職できないというもの。
ディーラーは、地元県立F高校の自動車科に入り、その後専門学校に進学できれば、実現の可能性は高いというものであった。

 

I高校は、私の学力では、入試合格確率が5割以下。
F高校ならば、I高校の滑り止めになるぐらい、間違いなく入学できるという状況であった。

中学校の担任の教師や、両親とも相談し、
I高校に挑戦することに決め、無事入学することができた。

今でも、当時必死に受験勉強をしたことが思い出される。
もともと勉強が苦手であったし、人から何かを強制されることに強い抵抗感があったため、
中学校3年生の1年間はとてもツラい思い出しかない。

 

そして、I高校卒業後、念願どおり、高卒で公務員になる夢を叶えることができた。
内定通知を受けた時は、家の中で飛び上がって喜んだことが鮮明に思い出せる。

 

念願の行政機関で働き始めて2年。
20歳の時に、不満な気持ちが急に訪れた。

 

それは、仕事内容が自分に合っているとか、やりがいがあるとかではなくて、
中学校3年生の時に諦めたもう一つの夢。
自動車整備士になりたかった気持ちが、公務員でのサラリーマン生活を変えようとしていた。

もやもやの気持ちを晴らすがごとく行動をした。

 

独学で、ガソリン自動車3級整備士の資格を取得した。
あんなに苦手であった勉強だったが、好きなことになれば違うもので、
定期試験では毎回満点の成績を修めていた。
この時は、我ながら自分の能力に自信を持つことができた。

そしていよいよ公務員を辞めて、自動車整備士に転職を果たそうと決断しようとしたところ、
周りから猛反対を受けた。注意深く思い返してみても、転職に賛成した人は一人もいなかった。
友人も、親族も、転職したかった自動車店ですらも、公務員を続けることを勧めた。

 

まるで、転職をしたら人生が終わる、
「死」を意味するぐらい強い説得を受けたこともあった。

 

これほどまでに言われ続けると、人から自分の行動を強制されることがイヤな私でも、
ひょっとして自分の選択が誤っており、間違いではないだろうかと思ってしまった。

 

そして結局、私は屈し、公務員として働き続けることにした。

でも今思い返すと、正直、このころから公務員という仕事から、
気持ちが離れ始めていたのかもしれない。

 

自分の正直な気持ちを押し殺して、人生の選択をしていくことは、
大なり小なり心にひずみを生じさせる結果にしかならないと、今は感じている。

 

この積み重ねが、人生の真の豊かさからどんどん遠ざかっていく原因になると、
今は理解できている。

 

そして、2回目の転機は30歳のころ。

 

当時は税金の徴収業務を行っていた。
税徴収部署というと、三大嫌われ部署の一つで、人事異動の内示を受けたときは、
本当に人事部局をうらんだ。

 

というのも、私は当時、離婚を決断し、かわいい一人娘の親権を預かり、
シングルファザーであった。娘は当時3歳になるかという年頃であった。

プライベートな事情であるため、会社もいちいち希望なんて聞いていられないのかもしれない。
でもこれが、育児中の女性なら考慮されて、
定時退社が配慮されたり、仕事のシフトを軽減してもらえたりした。

変なところで、私は男女不平等を感じた。

 

でも私は、自分で決めた人生だから、逃げたり人のせいにしたくなかったので、
できるだけ定時に帰り、せめて娘を、保育園で最後のお迎えの子にならないよう、
昼時間もろくに取らずに、仕事の効率だけを一心に考えて、バリバリとこなした。

ここまでやりこむと、私の真剣な気迫が周りにも伝わったらしく、
私が定時に帰ることも、夜、催告電話の当番を優遇してもらえたことも、
ひがんだり陰口を言う者はいなくなった。

当時の係長にも救われて。係長は、仕事はパッとしなくていつも課長に叱られてばかりだったが、
人間味でいったら抜群のセンスを持っていた。

滞納者との折衝でも、弱気を助け強気をくじく、大岡裁きぶりに若かりし私は、
人生観や正義とはをそばでたくさん学ばせてもらった。

 

そんな係長に、
私がバツになったこと、幼児を抱えての生活をしていること、仕事を優先できないときがあること、
を伝えたとき、

 

「まかせとけ!俺が何とかする!おまえの分までカバーしてやる!!」
と言ってくれたことは、当時の私にはどんなに助けになったかと、今でも思い起こします。

 

こんな税徴収の業務を通じて、滞納者の人生、世の中を生きることのつらさ、
それに対する人情味、正義のふるまい、人として大切なものをたくさん学び、
私はこの経験を活かして、もっと人のために生きたいと強く思いました。

 

でも当時、私に独立する手段はなく、
今までの経験を活かせる職種といえば税理士かなと思い、
少しずつでもステップを進めたくて、日商簿記検定3級に挑戦し、
企業会計、複式簿記を娘を寝かしつけた後に、独学で勉強しました。

試験は合格しましたが、税理士になるには1級相当の知識は有していなくてはならず、
独学を続けるのにも限界感を感じ、また、そのころ出会った妻との新しい人生を
考え始めていたこともあり、結局公務員を続けることを選択していました。

 

このときは、20歳のときとは違って、やりたいことがあるものの、
家族との人生を優先して、公務員を続けることにしたこと。
まぁ、このときも、迷ったが最後には自分で決めて、自分の人生を進んできたのだ思う。

 

あれから10年がたち、また今、辞めたい病の発作が起きているが、
今度こそは本気で辞めることになる。

1年前から悩み、迷い、少しずつ行動し、準備を重ねてきた結果、
不安や迷いは、今や自信や挑戦する期待感に変わってきている。

 

これもいろいろなご縁の結果、今があると間違いなく言える。

 

そんな、不思議な奇跡的なきっかけやできごとを、
あなたにお伝えしながら、私の今後の人生のゆくえを楽しみにしててほしい。

 

********************************************************************
追伸:人生の楽しみ

今日は、仕事で会議に出席するために名古屋に行きました。
昼食は、地下鉄桜通り線名古屋駅から国際センター間をつなぐ
ユニモール内にある、博多一口ちびまる餃子 ユニモール店
入りました。

鶏白湯醤油ラーメン+一口ちびまる餃子+ごはん
の醤油Bセットなるものを食べました。
クリーミーな豚骨ベースに、鶏ガラで油っこさを調整してあり、
とてもおいしい一杯でした。また、スープと上にかけられた粒黒
コショウの相性が抜群で、ピリリと味を締めてくれます。
麺も博多ラーメンの特徴であるストレート細めんで、程よくコシが
ありおいしかったです。
一口ちびまる餃子も、ニンニク・ニラ臭はないものの、しっかりと
味付けされた具はクセになるおいしさでした。

お近くにお寄りの際は、ぜひ試してみてください!

post2
どんなことでもいいですよ!悩み、迷い、生き方、一緒に話しませんか?
あなたからのメッセージをお待ちしております。
 
 
あなたの人生の悩み、迷い、生き方、これでスッキリです!
Happy Life通信「リアムのStandByMe」で、お待ちしております。
 
あなたの「自由に生きる」人生を手に入れる
 
こちら⇒「リアムのStand By Me」
 
 
人気ブログランキングに挑戦してます!
あなたの力で育ててください。ポチ!よろしくお願いします。m(_ _)m
↓↓↓↓↓↓↓


 - 仕事