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ついに退職届出しました。いよいよ始まりです!

      2017/05/05


こんにちは、リアムです。。。

今日は、公務員でいうところ「御用始め」の日。
2017年の新しい始業の日でした。

私にとっては、昨年の夏から、ずっとこの日に退職届を出そうと、
頭の中で何度もシュミレーションしてきた日でした。

私の新たな人生に向けて、節目となった一日を伝えます。

 

さかのぼること、昨年の4月。
年度初めになるその日から、私はもう、今年度が公務員として最後の年にすることを心に決め、
毎日の業務に取り組んできました。

ただ一つだけ、不安だったこと。それは退職後の収入の問題。
私には大切な守るべき家族がいます。独りではないということ。
そのために、独立するにはある程度の見通しが立たなければ、
自分の決意は立たないどころか、家族にも説明できないと考えていました。

 

そのために私は、独立するならば、まずは収入のめどを立てること。
そしてその収入を得る方法は、自分の好きなこと、自分を思い切り出せるもの。
これで勝負したい!と考えました。

その理由は、どんなに険しい道のり、環境であっても、
それは、自分の心の持ち方次第でなんとでもなることを知っていたからです。

 

登山が苦しく険しい道のりであっても、登山家はそれを自分への挑戦として、
冒険心と好奇心を満たすために山に挑むように。
マラソンランナーが、体力とタイムをけずり、少しでも今までの自分を超えるために、
レースへ向けて日々調整を重ね、成果を勝ち取るように。

 

私の人生もまた同じく、自分らしさを追求し、真の幸せを手に入れるために生き、
その人生を手に入れる方法が、必ずあると信じ、かけてみたいと。
真に心から熱く生きることができれば、自分なら必ず達成できると感じたからです。

 

そのために、昨年夏ごろまでは、自分と向き合いました。

自分は何がしたいのか?
得意なことは何か?
自分にとっての幸せは何か?
自分の人生に幕を迎えるその日、私は何に満足を得るのか?

多くを思い悩み、情報を集め、いろんな場所に出かけました。
そのプロセスは、私の経験となり、生きる自信につながりました。
信じるべきものや、自分の可能性や力も感じることに。

 

そして、11月には、人事当局へ事前に退職の意志を表明し、
内々に事務手続きの進め方を聞き、私がいなくなった後の業務の補てんを、
人事異動への配慮によってカバーできるようにお願いをしました。

その時の人事当局の反応は、以前お伝えしたとおりです。

過去記事はこちら⇓
「今年度限りで辞めさせていただきます!」

 

人事当局に退職の意向を伝える前、昨年の夏頃から、
私は、自分の独立後の身の振り方を考えているときに、

「今日、2017年の御用始めの日には、直属の上司に自分が退職届を提出し、
独立に向けて自分の決意を固める。もちろん将来の人生計画を持ち、
そのためのステップや、収入を得る方法、その見込みのめどをつけること」
を目標として、強く自分の中でイメージをしてきました。

上司に退職の決意を伝えている姿。
今後の自分がやりたいこと。
そのために退職する理由。
そして、最後に自分の意志を認めて欲しいと願いでること。

 

今日の夕刻、終業前の1時間、上司の時間をもらいました。
朝一番からあらかじめ会議室を予約し、上司のスケジュールを確認し、
上司の仕事の様子を見ながら、手が空いた時を見逃さずに声をかけました。

「課長、すみません。少し相談したいことがありまして。お時間いただけますか?」

 

冗談を言いながら会議室に入ってきた課長も、
私の雰囲気と、次の行動で、表情をかえました。

「勝手を言いましてすみませんが、今年度限りで退職をさせていただきます。」
とその言葉に合わせ、押印記入済みの退職届を机上、目の前に提出しました。

課長は以前、人事当局の担当係長に拝命されていたこともあり、
この時期に退職届が出されたこと、私の性格、決意の言葉の重々しさから、
もうすでに、私を説得して退職の決意を撤回させる段階ではないことを感じ取りました。

そして私の話に、終始耳を傾けてくれ、ていねいに気持ちをくみとってくれました。
私の決意をひととおり聞いた後、課長は、
「君ならどこに行ってもやっていける、私が送り出せることは喜びだよ」と言ってくれました。
また、
「うちの組織には、君の損失は正直痛手になると思う。私が、人事担当係長であった頃から、
君の優秀さは感じていたし、将来も期待していた。」とも言ってくれました。

 

その時に、私は、胸の中に熱いものを感じました。

 
振り返って公務員生活23年間。
ホントに多くの人に助けられ、導かれ、今の自分があるんだなぁと。
特に、今の自分の基礎を作ってくれた、すでに退職をされた先輩の方々のこと。
また、今でも現役で、幹部職員として活躍されている先輩の方々。
一人ずつの顔が浮かんできました。

 

私は、なんか申し訳ない気持ちになりました。
先輩達は私がこの組織で活躍し、この組織をますます盛り立てていくために私を育ててくれたのに、
私は、その先輩諸氏の願いに反することを決意したのではないかと。

私は課長に、
「今の自分があるのは、お世話になった方々があってからこそ。今の自分は、先輩の方々に
とても申し訳なく思います。それが今、唯一の心残りです、、、」
といい、涙で言葉に詰まり、それ以上、上司へ気持ちを伝えることができませんでした。

 

課長は、私が真剣に職務に精励し、しっかりやってきたからこそその言葉が言えるのであって、
それは一つの功績だから悲観することないと。
お世話になった方々は、公務員としての私の成長に、もちろん期待していたであろうけど、
私自身をかわいがり、私の活躍を心から願ったのであろうから、
その場所が公務員としてではなくても、喜んでくれるはずだよと語りかけてくれました。

 

全ての心の荷が解け、軽く解放された感じに包まれました。

胸につかえていたものが取れて、本来の自分になっていくかのように。

 

そして最後に課長は、
「この先、うちの組織が、自治体が困難に直面することがあるかもしれない。
その時は、ぜひ君の力を貸して欲しい。活躍を願っています。」
とはなむけの言葉を添えてくれました。

 

やはり、この世は、人が人によって支えられている。
自分に対する気持ちに感謝して、自分もさらに気持ちを分ける。
まさに「情けは人の為ならず」だなと心から思いました。

 

退職届は、担当部長の押印も必要なため、持ち回りでハンコをもらいました。
あらかじめ課長から部長へ、事情は説明してくれてあったため、
部長は何も聞かずに押してくれました。
 
部長とは以前、別の部署でも部下であったこともあり、私のことはよく知っていました。
「頑張って、儲けて来い!」と送り出してくれました。うれしかったです。

 

今日一日の経験は、これからの私の人生にも大きく影響を与えるものでしょう。
自分一人で生きているのではない。つかんだ成功は、
それまでに多くの人たちが自分を支えてくれて、応援してくれたからこその結果である。
おごることなく常に周りに感謝をし、成功を独占せずにペイフォワードの気持ちで。
幸せのシェアを続けていく、この生き方を私の生き方にします。

 

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